• ペットフードを
    食べると
    顔が腫れる愛犬

    ~アレグリアスフードの原点~

    「海鈴(かいり)に健康的に生きて欲しい」

    あることをきっかけに、我が子になった『海鈴 かい』
    かいは、愛されていなかった。
    かいは、なんだか邪魔者扱いされていた。

    まともな食事も与えられず、駐車場で、かごのような檻で5年間生きていた。
    病院も行った事がないのでは?その変わり、たまに山に放してもらって走り回るという自由はあった。

    かいは、私を呼んだんだ。
    ふとしたきっかけで、人に連れられて遊びに行ったおうちにかいは居た。
    毛の抜け落ちた血だらけの体で、うつろな諦めきった目で私を見た。骨は曲がっているけれど、
    骨格と目でシュナウザーだとわかった。私は鳥肌がたった。怒りと悲しみと猛烈な愛おしさにおそわれて鳥肌と、
    涙と、震えるからだと心を落ち着かせるのがやっとだった。

    私は当初、動物の業界からは離れていた。
    雇われて働くには、この動物の業界という世界を見るのを耐える事ができなかったから。
    だから、私は、そのときはただの『ぶっちょとじゅにのお母さん』だった。

    若かったし、お金持ちでもないし、自分とぶっちょとじゅにの生活がやっとだった私は一瞬悩んだ。
    この子を連れて帰って、私はしっかり看ることができるのだろうかと。
    ぶっちょとじゅにを犠牲にするのではないかと。

    それでも、諦める事ができなかった。

    元飼い主さんの『毎日放すんやけど、帰ってこんでいいのに帰ってくるんや』という言葉と
    恐怖から噛み付くことに必死な彼を見て、どうしようもない悲しみと、愛おしさでいっぱいになり、私は決意した。

    一緒に帰ろう。かい。

    そうして、かいは、我が子になった。平岡海鈴。
    最初の家族につけてもらった名前『かい』はそのままでいい。『かい』として幸せになるんだから。
    少しだけ、違う犬生になるように、鈴のようにずっと命が鳴り響くように。『海鈴』。

    もう、噛まなくていいよ。
    もう、飢えなくていいよ。
    もう、寒さにふるえなくていい。
    もう、孤独に悲しまなくいい。

    だから、生きて欲しい。家族になってほしい。心から願った。
    かいが喜んで生きて、家族になることに希望を抱いて。

    でも、そう甘くは無かった。

    動物病院での健康診断兼ねての訪問で、
    私は絶望感に襲われた。
    皮膚だけが悪いんじゃなかったんだ。
    ただ栄養が足りなくて痩せてるんじゃなかったんだ。
    ノミやダニがついているから痒いだけじゃなかったんだ。

    生きられないとか言わないで。
    獣医さん、助けてください。
    何箇所も動物病院に行って、何度も落ち込んだ。
    そこで、私は考え方を変えることにした。
    『獣医さんに、薬に治してもらおうとしなければいいんだ。私がなんとかしてやる。大丈夫だ。かい。』

    それから、トリマーとしてもプロであることから逃げて、ただの愛犬家として暮らしていた私の
    『かいが健康的に生きることができるごはんや、お家で母ができるヘルスケア』の勉強、実践をする生活がはじまった。

    かいに生きて欲しい。かいに治ってほしい。かいと仲良くなりたい。
    その想いだけではじまった『体を元気にするごはん』。
    その想いだけではじまった『皮膚病の痒みや改善のためのスキンケア』。
    数年かかったが、皮膚に痒みは少々残るも、『普通の犬』になった。最期の時を迎えるまで、
    抱えてはいたものの、体内に抱える病は8年間もかいと一緒に生きていた。

    13年と6ヶ月。かいは、笑顔で生きた。
    5年でその生涯に幕をとじることなく、私をその強い力で呼んでくれて、出逢わせてくれた。

    5歳の夏、かいは、平岡海鈴になった。

    平岡海鈴は、少しづつ、少しづつ、心を開いてくれた。
    平岡海鈴は、少しづつ、少しづつ、私を大好きと言ってくれるようになった。
    平岡海鈴は、私にとっては大親友で、可愛い息子で、ひょうきんなキャラクターで皆に愛された。

    平岡海鈴は、8年間、全力で私を愛してくれた。笑顔で、健康的に、走り回って、たくさん食べて、たくさんうんちした。たくさんマーキングした。たくさん笑った。
    かいの心と体は喜んだ。私は母として、そう確信している。

    かいが、少しでも元気になってくれるように。
    かいが、夜、ぐっすり眠れるように。
    かいが、ずっとずっと私のそばにいてくれるように。

    その想いから生まれたのが、私の手作りごはん。
    それは、私たち人間が、我が子に美味しいご飯を…
    我が子に新鮮なごはんを…
    そう願って作る家庭のごはんと同じ。

    Alegriasfoodは、こうやって生まれた。

    平岡海鈴、彼は、健康的に生き、その最期を迎える瞬間まで
    食べて、排泄をして、笑って、私の腕に抱かれてくれた。
    諦めの悪い私の悪あがきに、見事に心と体で応えてくれたかい。
    彼は、たくさんの思い出とAlegriasfoodを残して
    笑顔で心の中で生き続けている。
  1. フワフワを守り隊